ザナボブ(英語: The Nabob、1849年 - 1874年)は、イギリスで生産および調教されたサラブレッドの競走馬。競走馬としては1853年のチェスターフィールドカップに優勝したほか、スチュワーズカップ・イボアハンデキャップ・ロシア皇太子ハンデキャップ・ケンブリッジシャーハンデキャップで2着に入った。引退後種牡馬となってすぐにフランスへ輸出されたが、そこでパリ大賞馬ヴェルムートやボワルセルとスズランの2頭のフランスダービー馬を出す成功を収めた。

生涯

ザナボブは1849年にイギリスのハンプトンコート牧場でジョナサン・ピール大佐によって生産された(当時まだ王立牧場は設立されていなかった)。 父はザノブ、母はヘスター (Hester) 、母の父キャメルという血統の青毛の牡馬である。

ポニーのように小柄だった父ザノブとは対象的にザナボブはサラブレッドとしては最大級の大型馬で、長い脚に美しい馬体とアラブ種に似た頭を持っていた。体高は1メートル62センチになったが、成熟には5歳までかかった。

競走馬時代

1851年にピールの所有馬がすべて第3代リブルズデール男爵に売却されたため、1852年に3歳でデビューしたときに騎手は彼の服色を着用していた。この年はニューマーケット競馬場で3勝を挙げた。

翌1853年はジョン・ショウ・ドリンカルドの持ち馬として走った。チェスターフィールドカップ (Chesterfield Cup) ではオーギュスト・リュパン所有のフランス二冠牝馬ジュヴァンスを破って優勝した。またスチュワーズカップ・グレートイボアハンデキャップ(現イボアハンデキャップ)・ロシア皇太子ステークス(現ロシア皇太子ハンデキャップ)・ケンブリッジシャーステークス(現ケンブリッジシャーハンデキャップ)で2着に入った。

5歳時はハワード氏に転売されたが、1854年に出走したのはアスコットゴールドカップの1戦だけで、ここでは4000メートルを4分27秒で走破した三冠馬ウェストオーストラリアンに敗れた。

1855年は更に馬主が替わり、第2代アングルシー侯爵の所有馬となった。彼のもとでは運に恵まれず、グレートノーサンプトンシャーステークス (Great Northamptonshire Stakes) の競走中に転倒して競走中止になっている。この年を最後に競走馬を引退し、種牡馬入りした。

種牡馬時代

1856年と1857年はサセックス州で種牡馬として供用された。このときの産駒から1860年のアスコットゴールドカップに勝つルピーが出た。

1857年の年末にアルチュール・ド・シークラー男爵がザナボブを3万フランで購買し、フランスへ輸入した。1866年当時はパリ近郊のシュヴィイに繋養され、種付料は500フランだった。

代表産駒に、アンリ・デラマール(Henri Delamarre)が所有した1861年生まれのボワルセルとヴェルムートの2頭や、シークラー男爵にジョッケクルブ賞(仏ダービー)初勝利をもたらした1865年生まれのスズラン (Suzerain) がいる。

ボワルセルは1864年のランペルール賞とプール・デ・プロデュイに加えてジョッケクルブ賞にも優勝したが、同年のパリ大賞で故障し引退した。種牡馬としては、1869年のロワイヤルオーク賞(仏セントレジャー)に勝ち繁殖牝馬としても成功するクロト (Clotho) や、1868年のグランクリテリウム優勝牝馬のマドモアゼルドフリニー (Mlle de Fligny) を出している。

ヴェルメイユ賞に名を残す名繁殖牝馬ヴェルメイユとザナボブの間に生まれたヴェルムートは、1864年のパリ大賞で英ダービー馬ブレアーアソールや英仏オークス優勝のフィーユドレール (Fille de l'Air) を破る金星を挙げた。種牡馬入りするとさらに大きな成功を収め、1873年のジョッケクルブ賞とパリ大賞の二冠に加えて1874年のアスコットゴールドカップも制したボイアール、1874年のグランクリテリウムと1875年のロワイヤルオーク賞に勝ち種牡馬としても成功したペルプレクセ (Perplexe)、1876年のオークスステークス(英オークス)に同着優勝するエンギュランド、1877年のディアヌ賞(仏オークス)勝ち馬ラジョンシェール (La Jonchère) らの父となった。

スズランはアスコットゴールドカップ勝ち馬ルピーの全弟として生まれた。1868年のランペルール賞とジョッケクルブ賞に優勝し、パリ大賞でもジアールの2着になった。故障により引退したが、種牡馬としては成功できなかった。

ザナボブは1874年にマンシュ県マルタンヴァにあったシークラー男爵の牧場で死んだ。

プール・デ・プロデュイ (Poules des Produits) と称するジョッケクルブ賞(仏ダービー)の前哨戦を整備していたフランス馬種改良奨励協会 (Société d'Encouragement) は、1878年に第4のプール・デ・プロデュイとしてザナボブの名を冠した「ナボブ賞 (Prix du Nabob)」を創設した。ナボブ賞は1896年にアルフレド・ド・ノアイユ伯爵を記念してノアイユ賞に改名されて現在に至っている。

競走成績

以下の成績はレーシングカレンダーによる。

  • 走路はすべて芝馬場。
  • 当時はグループ制導入前のため格付け無し。
  • 競走名の S はステークスの、C はカップの、H はハンデキャップの略。

血統表

脚注

注釈

出典

参考文献

  • Johnson, R. (1853). The Racing Calendar for 1852 (英語). Vol. 32. The Racing Calendar and Turf Register Office. Google ブックスより2025年3月23日閲覧。
  • Weatherby, Charles; Weatherby, James (1853). The Racing Calendar for the year 1853 (英語). Vol. 81. Reynell and Weight. Google ブックスより2025年3月23日閲覧。
  • Johnson, R (1855). The Racing Calendar for 1854 (英語). Vol. 34. The Racing Calendar and Turf Register Office. Google ブックスより2025年3月23日閲覧。
  • Johnson, R (1856). The Racing Calendar for 1855 (英語). Vol. 35. The Racing Calendar and Turf Register Office. Google ブックスより2025年3月23日閲覧。
  • Houël, Éphrem [in フランス語] (1866). "The-Nabob.". Les chevaux de pur sang en France et en Angleterre (フランス語). Vol. 2. Paris: Madame Bouchard-Huzard. p. 134. フランス国立図書館より2025年3月23日閲覧。
  • Pearson, Ned (1872). "NABOB (The).". Dictionnaire du sport français (フランス語). Paris: O. Lorenz. pp. 431–432. フランス国立図書館より2025年3月23日閲覧。
  • Cavailhon, Édouard (1889). "LE SANG DE THE NABOB". Les haras de France (フランス語). Vol. 2. Pairs: Sussel. pp. 235–245. フランス国立図書館より2025年3月23日閲覧。
  • Halbronn, Chéri R. (1904). "THE NABOB 12.". Les étalons de France au XIXe siècle (フランス語). Paris: Maulde, Doumenc et Cie. p. 111. フランス国立図書館より2025年3月23日閲覧。

外部リンク

  • 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ

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