龍造寺 信昭(りゅうぞうじ のぶあき)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武士。須古鍋島家2代当主。肥前国佐賀藩の家老。

略歴

永禄9年(1566年)、須古鍋島家初代当主・龍造寺信周の次男として誕生。後に松浦盛の養子となる。長兄が文禄の役で戦死したために、養子縁組を辞して、須古龍造寺の名跡を継ぐ。

龍造寺高房没後、龍造寺氏から鍋島勝茂への政権移譲を支持し、佐賀藩の家老として支えた。慶長・元和年間の二度にわたり佐賀本藩に領地の一部を委譲した(三部上地)。寛永3年(1626年)、隠居し子・茂周が跡を継ぐ。

寛永19年(1642年)、死去。


千葉高胤

龍造寺 隆信 Ryūzōji Takanobu (1529 1584). Ryūzōji Takanobu was a prominent

龍造寺氏 Wikiwand

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