日光川(にっこうがわ)は、愛知県北西部を流れて伊勢湾に注ぐ河川。二級水系日光川の本流である。延長は41 km、流域面積は299 km2。
地理
濃尾平野にある愛知県江南市の北部に源を発する。西に向かって流れた後、一宮市で支流の野府川を集める。稲沢市西部では支流の光堂川を集め、稲沢市域では名鉄尾西線と並行する。稲沢市と愛西市の境界付近では両側から領内川・三宅川を集めるが、三川の合流部には津島街道(津島上街道)と呼ばれる街道が通っており、織田氏の居城だった勝幡城址もある。蟹江町に入るとJR関西本線と近鉄名古屋線をくぐり、蛇行する佐屋川や大膳川をしり目に直線的な流路で南下する。下流部では蟹江川、福田川、善太川、戸田川などを集め、名古屋市港区と飛島村の境界の河口池から排水機によって伊勢湾へと排水される。
日光川の流域は全域が木曽川の氾濫原であり、源流から河口までの高低差は約20mに過ぎず、平均勾配は1/2,000程度という傾斜の緩い河川であり、周辺にも山地や丘陵地は存在しない。水系に属する河川のほぼ全てが木曽川左岸派川が江戸時代に締め切られた後に用排水路として改修された河川であり、日光川水系は周辺地域に用水供給を担う宮田用水の悪水・排水路としての役割を担う。
そのため日光川の水源から野府川との合流地点にかけての上流部は川幅が狭い区間が続いている。福田川、善太川、宝川の合流点から川幅が拡大し、サンビーチ日光川などがある河口部では最大1km近くに及ぶ。国道23号(名四国道)の日光川大橋付近は大部分が橋ではなく堤防となっている。下流部は海抜ゼロメートル地帯であるため、流域全体の約2/3の地域ではポンプによる強制排水が行われている。干満時に河川水位を調整するため、河口部には日光川排水機場及び水閘門が設置されている。なお、河口付近は江戸時代の干拓地である。
歴史
萩原川
現在の日光川は木曽川の派川(木曽八流)の一つ・萩原川(はぎわらがわ、または足立川)を大規模に改修したものであるが、萩原川は現在の日光川とは愛西市渕高町付近以下の流路が大きく異なった。愛西市渕高町から南に流れてやや西に湾曲した後に東に流れて現在の領内川筋へと流れ、天王川となって南に流れて下流では佐屋川を経て木曽川へと至っていた。なお、江戸時代初期には稲沢市平和町領内付近で合流していた三宅川は、古くは現在の愛西市勝幡町付近から南に流れて善太川へと流れる古日光川と呼ばれる流路をとっていた。また、上流部では古川(ふるかわ)とも呼ばれており、古川・萩原川・天王川の流路は三之枝川と呼ばれた。
中下流域は海抜ゼロメートル地帯であり、過去に何度も浸水被害が発生していることから、集落は自然堤防上に築かれ、民家には水屋と呼ばれる避難用の建物も築かれた。
1608年(慶長13年)に木曽川左岸に「御囲堤」が築かれると木曽川から切り離され、それ以来は自己水源を持たない農業用排水路となった。
日光川開削工事
時代を経ると徐々に佐屋川の河床上昇に伴って天王川の排水も滞り、三宅川でも排水不良が生じる。尾張藩によって佐屋川洪水時の逆流対策として新たな水路の整備が検討され、まず1666年(寛文6年)から愛西市小津町付近以下の日光川下流部分の開削工事が行われ、1667年(寛文7年)には蟹江新田を経て伊勢湾に注ぐ流路が完成した。この新水路で三宅川は海に通じたが、1667年(寛文7年)秋の暴風雨で各所で水路が決壊したため、河口部は締め切られ杁で排水することとなった。
時代を経てさらに佐屋川の河床上昇が進むと、天王川・萩原川の排水状況も一層悪化した。尾張藩は1785年(天明5年)からの工事で萩原川を三宅川以下の新水路と合流するように付け替え、それに伴って萩原川の下流であった天王川を築留め、同様に排水状況が悪かった領内川も萩原川・三宅川と合流させた。その後、1812年(天明9年)までかけて河口部の杁を撤去するために高潮に備えて新水路の堤防の増築や川幅の拡幅工事が行われ、杁が撤去された後には河川舟運が盛んとなって年貢米の輸送にも用いられた。
江戸時代後期には下流部での新田開発が盛んであり、1801年(享和元年)の飛島新田の完成、1822年(文政5年)の藤高前新田の完成で現在の河口部の形状に近づいた。
近代
1959年(昭和34年)9月26日の伊勢湾台風では日光川流域で22か所が破堤し、被害額が約300億円に上る甚大な被害を出した。1974年(昭和49年)7月の豪雨では、愛知県の中でも特に日光川流域で大雨を記録し、流域面積の約52%にあたる15,447ヘクタールが浸水した。1976年(昭和51年)の台風17号では支流の目比川が決壊するなど流域の約31%にあたる9,320ヘクタールが浸水した。 2000年(平成12年)9月11日の東海豪雨では、支流の福田川を中心に内水被害が発生し、流域全体では530ヘクタールが浸水した。
1997年(平成9年)時点の流域の土地利用率は、宅地等の市街地が約49%、水田や畑地等の農地が約43%、その他が約8%だった。2008年(平成20年)時点の流域人口は約83万人だった。2010年(平成22年)には、洪水の際に流量の一部を木曽川に放水する日光川放水路が供用開始された。
2018年(平成30年)3月19日、高潮や南海トラフ地震による津波に備えた新しい水閘門が供用開始された。
流域の自治体
日光川の流域には9市2町1村がある。
- 愛知県
主な支流
二級河川
二級河川を下流側から順に記載する。
それ以外の関連河川
- 佐屋川 - 日光川西岸の津島市・海部郡蟹江町付近を流れる普通河川。延長10.2km。流域面積16.8km2。
- 大膳川 - 日光川東岸の愛西市・海部郡蟹江町付近を流れる普通河川。
橋梁
上流部部(~野府川合流点)
中流部部(野府川合流点~三川合流点)
下流部部(三川合流点~河口)
脚注
参考文献
- 安井雅彦「低平地河川日光川の河口締切に至る過程と背景」『土木学会論文集D2(土木史)』第69巻第1号、土木学会、2013年、90-103頁、doi:10.2208/jscejhsce.69.90、ISSN 2185-6532、CRID 1390001205355430272、2023年6月14日閲覧。




