岡崎 平夫(おかざき ひらお、1909年(明治42年)2月1日 - 1993年(平成5年)12月27日)は、日本の政治家。第22 - 26代岡山市長で、歴代最多の5期務めた。岡山市名誉市民。

経歴・人物

旧制府中中学校(現・広島県立府中高等学校)を第1期生として卒業。同級に江草隆繁、浦上豊ら。徳島高等工業学校(現・徳島大学)卒業後、大阪市水道局に就職したが応召、ボルネオで終戦を迎えた。帰国を待つ間に大腸ガンを2度手術、1946年病院船で帰国。

戦後の1947年、大阪に水道工事会社を設立後、翌1948年吹田市水道部長に転職。1952年関西大学第二部法学部を卒業。岡山市水道局長を経て、1963年岡山市長に初当選、以来連続5期20年在任し、歴代の岡山市長では最も長く市長を務めた。 「緑と花・光と水」という市政運営コンセプトを掲げて、足掛け10年を費やし西川緑道公園・枝川緑道公園を完成させた。

また周辺の市町村合併を積極的に進め、就任の間に政令指定都市の法定人口の要件である人口50万人を達成させた。

「岡山県南政令指定都市構想を参照」

1965年、岡山市ジュニアオーケストラ創設。1974年日本下水道協会初代会長、1979年から2期4年間全国市長会会長を務め、今なおその業績への評価は高い。村田吉隆は甥にあたる。

略歴

  • 1909年2月 広島県芦品郡新市町(現・福山市)で生まれる。
  • 1963年5月 第22代の市長選にて初当選し、岡山市長に就任。
  • 1967年5月 第23代の市長選にて再選。2期目を務める。
  • 1969年 西大寺市(現・東区)を編入合併させる。
  • 1971年1~5月 一宮町・津高町・高松町・吉備町・足守町(以上、現・北区)・上道町(現・東区)・妹尾町・福田村・興除村(以上、現・南区)を編入合併させる。
  • 1971年5月 第24代の市長選にて再選。3期目を務める。
  • 1975年5月 藤田村(現・南区)を編入合併させる。
  • 1975年5月 第25代の市長選にて再選。4期目を務める。
  • 1979年5月 第26代の市長選にて再選。5期目を務める。
  • 1983年4月 5期20年務めた市長職を退任。
  • 1993年12月 84歳で死去。

脚注

参考文献

  • 赤井克己『瀬戸内の経済人―人と企業の歴史に学ぶ24話』吉備人出版、2007年。 
  • 竹内晋平, 小野芳朗「西川緑道公園の誕生―岡山市内用水の景観成立―」『土木史研究講演集』第29巻、土木学会、2009年、261-266頁。 

関連項目

  • 岡山市
  • 岡山市水道局
  • 昭和の大合併

外部リンク

  • 歴代岡山市長 岡崎平夫(岡山市公式HP)

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