松平 通温(まつだいら みちまさ)は、江戸時代中期の尾張藩主一門。官位は従四位下・侍従、安房守、左近衛権少将。
生涯
尾張徳川家3代当主・尾張藩主徳川綱誠の十九男として誕生。母は側室の唐橋(里見氏・卓然院)。幼名は喜之進。
宝永4年(1707年)に元服し、当時藩主であった兄・吉通の偏諱を受けて通温と名乗る。正徳2年(1712年)、江戸に上り、従四位下・侍従・安房守に任官する。同4年(1714年)には左近衛権少将に進む。しかし同6年(1716年)に7代将軍・徳川家継が没し、兄で藩主の継友が8代将軍の座を紀州藩主の吉宗と争って敗れると、尾張家の一員として憤激収まらず、「頗る狂躁の行いあり」と記録されるような過激な言動を強めていった。享保3年(1718年)には継友の手によって尾張国内に幽閉されるに至り、以降は徐々に酒に溺れて自暴自棄となる。この結果健康を害し、享保15年(1730年)に35歳で死去した。法号は顕照院。
脚注
参考文献
- 加来耕三『徳川宗春 尾張宰相の深謀』毎日新聞社




